高校中退
エホバの証人二世の反逆児仲間の同級生も、僕と同じ高校を選んだ。
もちろん、希望や期待から選んだのではなく惰性で選んだものだ。
そんな彼が、高校入学直後の4日目に突如、高校退学と言う行動に出た。
特にはっきりとした理由はなく、高校になって義務教育じゃなくなり、自主退学できるから退学したと言うような消極的な理由。
彼は自主退学し、新聞配達の仕事を始めた。
自立して、自由になりたかったんだと思う。
高校に入学して直後に気づいたのが、この高校の中途退学率の高さ。
高校を卒業するまでに3分の1が退学する。
ほとんどが自主退学だが、事件を起こして退学したり、留年を機に辞めたり。
この高校には、退廃的な雰囲気が漂っていた。
中途退学が多いのも納得できる。
その理由の一つは、共学と言いながらも99%が男子だったと言うことが関係していると思う。
他には、工業高校と言う専門性のため、クラス替えがなく同じメンツで3年間続けると言うこと。
偏差値ランキングで、下から数えたほうが早いような学力の高校だったので、将来に対して希望がないと言うのも退廃性を加速させていた。
孤立からの文化傾倒
相変わらず大人しく内向的な僕は、高校でも弱い立場だった。
この高校では、イジメといった現象は誰に対してもなかったが、基本的にガラの悪い高校なので、強者と弱者の違いははっきりとしていた。
元々、社交的な性格でもなく、人見知りをする性格なので、高校でも友達は少なく、一緒に進学した反逆児仲間が中退したので、友達はほとんどいなかった。
孤独な僕は、この頃から漫画にハマり始める。
学校からの帰り道にある、駅前の本屋が立ち読みオッケーの本屋だったので、友達のいない僕は、ひたすら本屋で漫画を立ち読みして過ごすことになる。
あらゆる週刊漫画誌を立ち読みし、週あたり30個の連載を追いかけていた。
自分では買わないような青年誌も立ち読みだから読んでいて、読者年齢層の高い漫画から大きな影響を受けた。
大人向けの漫画は、僕の精神的成長を促してくれた。
家庭内では、手に入る情報は基本的にテレビのみで、エホバの証人のガイドラインに則って規制されていたが、本屋で立ち読みする分には母も規制しきれない。
僕は立ち読みを利用して、どんどんと情報と刺激を吸収していく。
同じ頃に、映画を見ることにもハマりだした。
兄が、レンタルビデオ屋でバイトしていたので、秘密裏に無料でレンタルさせてくれて、色々な映画を見るようになった。
最初の頃は、分かりやすいハリウッドアクション映画だけだったが、実験的なロックバンドでベースを弾いている兄が、刺激的な映画を少しずつ紹介してくれたこともあり、僕の文化的成熟度が増していった。
僕は元々、孤独であることを苦にしない性格だったが、この頃は孤立度がさらに際立っていて、文化的な刺激だけが僕の友達だった。
おばあちゃんの死
高校に入学してすぐに、おばあちゃんが病気になり始めた。
兄が、”おばあちゃんが病気だからお見舞いに行くけど一緒に来る?”と聞いてくれたのだが、僕はなぜか、自分のおばあちゃんが病気になるとは考えが及びつかず、兄の奥さんのおばあちゃんが病気になったのだと勘違いして、お見舞いに行くのを断った。
春休み、夏休み、冬休みと大きな休みになるたびに、欠かさずにおばあちゃんの家に遊びに行き、ご馳走してもらい、お小遣いとおもちゃを買ってもらっていたのだが、なぜか、高校入学直前の春休みには遊びに行かなかった。
理由は特になし。
そして高一の夏に、おばあちゃんは他界した。
僕が初めて行く、家族の葬式。
心が抑圧されて、ネガティブな感情を感じなくなっていた半死人の僕は、大して悲しむ訳でもなく、淡々と葬式に参加していた。
当時はそれでよかったのだが、大人になって感情を取り戻し、色々な状況をみて取れるようになった僕は、おばあちゃんのお見舞いに行けなかったことを大きく後悔した。
大人になってからは、とことん自由に生きて、後悔することなど全くなかったのだが、この事だけがずっと心に残り続け後悔し続けた。
この日から約20年後に、信頼できる友人にチャネリングセッション(降霊会)をしてもらい、この事を話した。
チャネラーの彼女が言うには、おばあちゃんは老いさらばえた自分の姿を誰にも見せず、ひっそりとあの世に行きたかったらしい。
だから、おばあちゃんの魂と密に繋がっていた僕は、そのメッセージを無意識のうちに受け取り、遊びに行ったりお見舞いに行ったりしなかったと言う訳だ。
おばあちゃんの魂は”そんなに自分を責めないで、もっと自信を持って”と伝えてくれた。
このことを知った僕は号泣し、後悔から解放された。
つづく。。。