猿岩石
話は少し遡るが、僕が一人暮らしを始めようとしていた頃に”電波少年”という深夜番組で”猿岩石”というお笑いコンビが、ユーラシア大陸をヒッチハイクだけで横断するという番組を放映して大ヒットしていた。
いまや日本のツイッターフォロワー数ランキングで2位の有吉弘行が、テレビに出たきっかけとして知られてもいる。
多分、時代に合っていたんだろう。
以前のバイト先でもずっと話題になっており、今まで見たことがないようなリアルタイムのドラマに皆が興奮していた。
僕も番組制作者の意図通りに、この番組にハマりまくった。
毎週、血眼になって番組を追い、関連本も買って大ファンになっていた。
彼らは貧乏で何もなくともヒッチハイクだけで、日本からロンドンまでたどり着いた。
何も持たなくても気合いと度胸でなんとでもなってしまうところが、最高にかっこいいと思った。
結果的にこの番組企画には、やらせが混じっていたことが発覚しているが、僕が旅物語から受け取った感動や衝撃は本物だった。
今になって振り返ると僕の長年にわたる旅の原点は、この番組にあった。
20年以上も旅しているので、何か神秘的な理由やきっかけになるような大事件が欲しいところだが、実質的に僕が受け取った最も大きな旅のインスピレーションは『猿岩石』だった。
そのインスピレーションから、たった数ヶ月後に自分が実際にバックパック旅行をするなんて夢にも思っていなかったが、番組から受け取った感動は僕の魂を揺さぶり放浪者の種を植え付けていた。
バイト内の流行
ツタヤの深夜バイトグループにはカリスマが一人いて、彼の言うことは皆がフォローしていた。
彼がベトナムを自転車で旅行した事を題材に旅行記を書いて、みんなにメールでシェアして以降、一人、また一人とツタヤバイトの中でも文化系の人たちが旅行をするようになって行った。
彼は『自称文化貴族』というだけあり、優れた文才で描く旅行記は映画的な旅情に溢れていて、読むものを旅へと誘う。
大体は、みんな数週間から数ヶ月大学の休みなどを利用して、海外を旅していた。
多くは東南アジアへのバックパッカーのような感じだったが、ヨーロッパへのホームステイのような感じの人もいた。
期間も行き先もバラバラだったが、旅行から帰ってきた人に共通していたのは、何か一皮向けたような、垢抜けたような感じだった。
自分は『すでに経験済みだぜ』みたいな、自信というか優越感みたいなものが滲み出ていて大人っぽく見えた。
みんな旅行して自信に溢れて、テレビで見た猿岩石みたいで格好いいなと思っていた矢先に、バイト仲間のテクノ友達のA君がタイ旅行の話を持ってきた。
僕は一年前にペルーへ行っていたので、パスポートは持っている。
まさか、たかがレンタルビデオ屋のバイトの自分が、海外旅行に行くなんて思いもしなかったが、パスポートを既に持っている事と一人ではなく友人と一緒だということが後押しとなり、タイ旅行に行く事を決意させた。
一人ではそんなアイデアや、度胸は生まれてこなかったと思う。
旅行プラン
僕たちは3月にバイトの休みを三週間とって、タイの南の島へ向かう計画を立てた。
高校の同級生は、まだ学生だという時期に、三週間も友人とバックパッカー旅行をすると言うのは僕の優越心を激しく刺激した。
当時の僕は、高校を辞めて感性を磨く生き方をしたいと思っていたので、同級生と違う行動をすることは重要な事だった。
予定は前半の一週間ほどをパンガン島と言う南の島へ向かい、後半の一週間をチェンマイと言う山の街で過ごす。
残りの一週間は、首都バンコクでの調整日。
どこが気にいるかは分からないので、日程にある程度のゆとりを持たせたかった。
当時はネットでチケットを買うなんて文化も無かったので、バイト先の近所にあるH.I.S.で往復のチケットを買った。
値段は覚えていないが、安くは無かったように思う。
いざ出発の日が近づいてきても僕は興奮こそあれ、不安や恐怖は一切なかった。
一年前にペルーへ一人で向かったことが、大きな自信につながっていたようだ。
つづく。。。
次回は、タイ旅行でカルチャーショックをうける話2です。