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西成での文化人生活の話5(自叙伝050)

西成での文化人生活の話5(自叙伝050)

兄との音楽ユニット

 
 
 
僕は色々な音楽的経験を積んでいたが、兄との音楽ユニットも独自の進化を遂げていた。
 
 
 
 
音楽ユニットの名前は、泉北コミュニティとすることにした。
 
 
それは僕たちの育った泉北という地域で定期的に無料で配信される情報誌の名前なのだが、家庭的で地元ローカルな感じが逆にシュールでかっこよく、泉北から突然変異として生まれてきた僕たちをよく表していると感じていた。
 
 
 
 
ちなみに兄は両親の離婚後、父と新しい奥さんとその連れ子三人と新しい妹との混乱に満ちた波乱万丈な生い立ちを経験していた。
 
 
 
思春期に突然知らない人たちと狭い家で暮らすことになったのだから、色々な心の歪みがあったと思う。
 
 
 
母に勧められてエホバの証人の勉強をしていたこともある反面、中学生くらいからバンドをやるロックな反骨精神もある。
 
 
 
 
僕たちは自分たちが非常に個性的な生い立ちをして来て、個性的な性格をしていることを理解していたので、僕たちにしか出来ない個性的な音楽ができると信じていた。
 
 
 
自分たちはそこまで音楽的才能はないが、個性を生かす事で音楽業界に一石を投じることが出来るんじゃないかと考えていた。
 
 
 
 
今の時代、すでにあらゆる音楽の可能性が出回っていて、音楽の可能性を広げすぎると自分を見失ってしまう。
 
 
 
 
自分たちは逆に可能性を閉ざしまくったところから出発してみようと、逆転の発想をした。
 
 
 
 
 
 
 
 

サンプル・ルール

 
 
 
 
とことん厳しく音楽の幅を律する事で、今までにない個性的な音が作れるんじゃないかと考えた僕たちは、いくつかのルールを作った。
 
 
 
ルール1、演奏しない。
 
 
 
サンプラーという実際の音を録音して、音楽を奏でる道具を使っているのを強みにしようと考えて、逆に一切の生演奏をやめようということになった。
 
兄はベーシストだが演奏しない。
 
僕はパソコンでドラムを打ち込んだり、シンセサイザーで音色を奏でることを学んでいたが、それもしない。
 
 
誰かが演奏し、録音したものだけを利用して楽曲を作ろうということになった。
 
 
 
 
ルール2、著作権保護された音源のみ。
 
 
 
ルールはさらにエスカレートして、いっそのこと著作権で保護された音源だけで作曲をしようという事になった。
 
それも、著作物を著作者が聞いてわかる形でのみ楽曲に使用しようという事になった。
 
ヒップホップなどの世界では誰々のバスドラムの音をサンプリングして、それでビートを組み立てたりなどするのだが、僕たちは一音だけではなく、ビートを全てサンプリングして、丸ごと使うと言うやり方を選んだ。
 
 
それは、もはやサンプリングという範疇からはみ出ていて、テープ・コラージュという音楽的手法を電子的に再現しているようなものだった。
 
どこかのバンドが演奏したビートに乗せて、誰かの演奏したベースラインを合わせ、そこに誰かの演奏したピアノ音や、テレビから直接録音した音声などを合わせて創る、実験的なテープ・コラージュ音楽。
 
 
元々のテープコラージュ音楽は、非常に実験的な音なのだが、僕たちはできる限りポップに表現しようとしていた。
 
 
 
 
ルール3、使うサンプル音は音楽的に評価されていない物のみ。
 
 
 
ルールはさらにエスカレートしていき、普通にカッコいいミュージシャンの音源からはサンプリング音を取ってはいけないというルールを付け加えた。
 
サンプルを取っていいのは、とことんマイナーで誰も知らないようなアーティストか、逆にとことん有名で誰でも知っているような音源か。
 
かっこいいミュージシャンの音を使ってかっこいい曲を作れるのは当たり前。
 
誰も知らないような曲、あるいはカッコ悪い曲や、音楽的に過小評価されているような曲からかっこいい曲を作ることが、自分たちの腕の見せ所だと考えていた。
 
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 
 
次回は、西成での文化人生活の話6です。
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