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西成での文化人生活の話1(自叙伝046)

西成での文化人生活の話1(自叙伝046)

西成へ帰ってきた

 
 
 
3週間のタイ旅行も無事に終わり、西成の一人暮らしのワンルームマンションへ帰ってきた。
 
 
 
 
旅行は無事だったが、無事ではなかったのが貯金だった。
 
ピザ屋のバイトで貯めた貯金は引っ越しの準備やタイ旅行の資金に消えた。
 
 
 
 
ここに住んでいない3週間の間も、家賃は払い続けている。
 
だが働いていないので給料は入らない。
 
にもかかわらず、タイでは毎日消費していた。
 
 
 
 
物価は日本よりもはるかに安いが、毎日消費するだけでは、貯金が減って行くのは当然のこと。
 
 
 
 
日本に帰ってきていきなり金欠になった。
 
次の給料が入るのがしばらく先なので、その間は節約しなければいけない。
 
 
 
 
貧乏な母子家庭に育ったが、金銭管理は母の仕事。
 
自分の責任においてお金がないという経験は初めてのことで、ある種の恐怖を感じた。
 
 
 
 
当たり前のことだが、如何に給料のうちの多くの割合を家賃に使っているかに気がつき、次にインドに長期旅行に行く時にはこの部屋を引き払わないと、とんでもないことになると理解した。
 
 
 
 
次の旅行は家を引き払って行く。未来のビジョンが着々と形作られて行く。
 
 
 
 
 
 
 
 

新しい友人

 
 
 
 
ツタヤのバイトに戻ると、Tくんという新しいバイトが深夜バイト組に参加していた。
 
歳は一つ上で、バイト全体からすると若い方。
 
彼も他のバイトの例に漏れず、映画オタクで音楽オタクで、文化好きだった。
 
 
 
 
お互いに新入りのバイトで断トツで若く、趣味が似ているのですぐに仲良くなった。
 
 
 
 
彼は将来、映画監督になることを目指しており、芸大に通って勉強していた。
 
この出会いは僕にとって非常に刺激的で、いろんな情報やインスピレーションを共有した。
 
 
 
 
このころの僕たちにとって、最も大事なことはできるだけ多くの音楽を聴き、できるだけ多くの映画を見てセンスを磨くことだった。
 
僕はある種の宗教カルトかと思うくらいに、このことに熱中していた。
 
 
 
 
如何に刺激的で芸術的な映画をみるか、これを追求するためにお互いの情報は必須だった。
 
僕たちの文化的刺激に対する欲求は飽くことを知らず、全てを貪欲に吸収していった。
 
 
 
 
このころの僕はツタヤバイトの恩恵もあり、一日3本の映画を毎日見ていた。
 
明らかに情報のオーバードーズだが、何年もエホバの証人の規制により好奇心を抑圧され続けてきた僕には、これくらいがちょうど良かった。
 
 
 
 
ツタヤでは、有名な監督の映画は監督ごとに分けられており、過去のマニアックな作品まで網羅していた。
 
気に入った作品は一つ一つ順番に見て行く。
 
 
 
 
一日3本も見ていると、映画の話の筋がごっちゃになってわけが分からなくなったりもするが、それでも良かった。
 
とにかくなんでも吸収したい。
 
 
 
 
漫画などで、地球にやってきた宇宙人が映画を見まくって地球のことを知る、などというシーンがあるが、僕はまさにそれだった。
 
映画を通して、世界を知り、生きるということ、人との関わりや、特殊な感性を育てていた。
 
 
 
 
 
 
 
 

好みのスタイル

 
 
 
 
バイト内には色々な趣味の人がいるので、それぞれから影響を受けて色々な映画を見ていったが、特に僕とTくんが好きだったのは、70年代のアングラでサイケデリックでヘンテコで猟奇的な映画だった。
 
 
 
 
僕たちにとってのマスターピースは、アレハンドロ・ホドロフスキーというチリ人の監督による”ホーリーマウンテン”という作品。
 
 
 
 
70年代のサイケなカルト教団の物語で、ストーリー自体が神懸かったもの。
話の筋が見事に組み上げられて行き、熱が込み上げてくる。
 
 
 
 
最後の最後に既存の価値観をひっくり返すようなこの映画の手法にとんでもない衝撃を受けた。
 
 
 
 
内容はネタバレになるので言わないが、自己の価値観を取っ払うような経験ができるので、興味のある方は見てみてほしい。
 
 
 
 
 
日本の映画にも大きな影響を受けた。僕たちが好きだったのは大島渚監督の60年代の作品。
 
あの時代は世の中が大きく動いていて、刺激的な作品が多い。
 
 
 
 
大島監督の作品で、”日本の夜と霧”という作品があり、安保闘争を題材にした非常に政治的な作品で、当局からの言論統制が激しすぎて、数日間しか制作期間が取れなかったという曰く付きの作品だ。
 
 
撮影期間が短いため、効率を求めてほとんどのシーンは長尺、役者たちも長いセリフを覚えて一発で撮りを成功させないといけないので必死。
 
そこに時代背景と当局からの圧力と映画内容の過激さが合わさり、ものすごい臨場感で映画が進んで行く。
 
 
 
 
革命前夜のピリピリとした空気感、立ち上がる若者たちの熱気、市民が正義感に満ちて行動を起こす時の勢いが見て取れる。
 
僕のツイッターアカウントをフォローしてくれてる人には面白い内容だと思う。
 
 
 
反体制、革命、変革などというものへの興味を大きく刺激された。
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 
 
次回は、西成での文化人生活の話2です。
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