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ペルーでの生活の話5(自叙伝023)

ペルーでの生活の話5(放浪記023)

日本帰国

 
 
 
楽しかった旅行を終えて、姉の家へ戻る。
 
 
 
母はこの後も一ヶ月ほど残って、ペルーの生活を楽しむ予定。
 
叔母は、旦那の面倒を見なければいけないので、すぐに日本へ帰る予定。
 
僕はペルーに来た当初は、特に予定も立てずに来たのだが、退屈な日々が余りにもしんどかったので、叔母が日本へ帰るタイミングで一緒に帰ることにした。
 
 
 
こっちでも友達ができつつあり、それなりに馴染み始めていたが、そもそもペルーにいる理由が無かった。
 
日本に行って何をするというアイデアもなかったが、退屈さにはもう耐えられなかった。
 
 
 
それに、このタイミングで日本に帰ると、一人で日本の家を使えるし、こっちで母と一日中一緒に過ごすことを避けられる。
 
 
 
結婚式や旅行が終わり、バタバタしている中で帰国の準備を進める。
 
 
 
残り少ない時間で、荷物をまとめ知り合いに挨拶に回る。
 
 
 
忙しさや、気候の変化や睡眠不足や疲れなどが合わさったのだろう、出発の朝は体調が良くなかった。
 
 
 
ちょっと風邪っぽかったので、パブロンか何かの日本の市販の風邪薬を飲んだ。
 
大事な移動の日ということもあるので、いつもよりも1錠多く飲んだ。
 
多ければ多いほど良いという単純計算だ。
 
 
 
 
 
 
 
 

車酔い

 
 
 
姉が首都リマの空港まで送ってくれる。
 
 
 
母たちに別れを告げ、バスでリマまで向かう。
 
 
 
曲がりくねったアンデス山脈の山道を走っていると、だんだんと気分が悪くなって来た。
 
車酔いしやすい僕は、薬を準備していたのでそれを飲んだ。
 
 
 
しばらく経っても車酔いの症状は大して回復せずに、それとは別に今度は高山病の症状が出て来た。
 
頭痛がひどい。余りに頭がいたいので、準備していた高山病の薬を飲む。
 
 
 
バスは、曲がりくねった山道を走り続ける。
 
 
 
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症状は全く好転せず、気分はどんどんと悪くなり、車酔いと風邪ひきでゲーゲー吐き始めてしまった。
 
そこに薬の副作用が合わさり、いつにも増して異常な吐き気がする。
 
さらにさらに、そこに高山病の症状が合わさって激しい頭痛が襲ってくる。
 
 
 
 
車酔いで吐くというのは良くあるのだが、今回違ったのは、風邪をひいていたことに高山病と薬の副作用が合わさっていたこと。
 
 
 
嘔吐を通してとんでもない排毒、および浄化の作用が起こっていた。
 
 
 
泣きながら胃液まで吐き切り、高山病の頭痛を感じながら、酸素の薄さに息切れし、過呼吸になって手足が変な形に固まっていた。
 
叔母が、一生懸命に介抱してくれる。
 
 
 
山道は数時間続き、薬の副作用も合わさり、胃液が枯れるまで吐き続けた。
 
 
 
空港に着いた後は、フラフラになりながらも、即座に空港の医務室に連れて行ってもらう。
 
そこで、胃を洗うために水を飲んだら、その水も吐いてしまった。
 
 
 
この状態では、日本へ向かう飛行機に乗るのも難しいからと、お尻にぶっとい注射を打たれた。
 
 
 
何を打たれたのかは分からないが、吐き気も痙攣も風邪の症状も疲れも吹き飛んだ。
 
 
 
化学薬品に気をつけろと言う話なのか、化学薬品はよく効くと言う話なのか訳が分からないが、症状が消えたので無事に飛行機に乗ることができた。
 
 
 
今回は一人ではなく、叔母と一緒に数日かけてに日本に帰ることになる。
 
叔母としては、一人きりで帰らなくて済んだので、心強かったんじゃないかと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 

ペルーでの生活

 
 
 
こんな感じでペルーでの初めての海外体験は終わった。
 
 
 
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二ヶ月ちょっと滞在して、実際にペルーを体験したかと言うと、そうとも言えないと思うし、楽しんだかと聞かれても、うーん、、、としか言いようがないけど、それでも今までとは全く違った生き方をして、違う国の違う国での生活を体験したことは、大きな自信になった。
 
 
 
エホバの証人の生活しかしたことがなく、まともに人生を生きたことがないと言うコンプレックスは、これで少し解消された。
 
 
 
少し成長して、日本への帰途へ着く。
 
 
 
 
 
 
 
つづく。。。
 
 
 
次回は、引きこもりの日々の話です。
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